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デーツ(東京ジャーミイ行ってきた)

デーツ(東京ジャーミイ行ってきた)

先日デーツに関しての動画をあげたのですが、すると患者さんに「東京ジャーミイ」に行ったことありますか?

と質問されました。

どうやらそこはイスラム教のモスクで、入るとウエルカムデーツしかり、無料のデーツ試食コーナーがあるとのことだったので、さっそく行ってみました。

トルコには一度行ってみたいと思っていたので。。

東京ジャーミイ〜公式HPより〜

代々木上原駅から徒歩約5分の場所にある「東京ジャーミイ」は、一度に2000人も礼拝することができる日本で最大級の礼拝堂です。その歴史は1938年にできた東京回教礼拝堂からスタート、建物の老朽化により取り壊され、2000年に現在の建物となり、東京ジャーミイ・トルコ文化センターとして生まれ変わりました。イスラム教の宗教施設ですが、イスラム教徒でなくても見学ができます。
東京ジャーミイは鉄筋コンクリートづくりの建物で、2階の礼拝堂の天井には、数千年前から使われているドーム内空室が音響装置として取り付けられています。この装置によって礼拝を告げるアザーンやコーランの朗唱が礼拝堂内によく響きわたります。建物の内外には、カリグラフィやタイルをはじめとするトルコ・イスラームの工芸品が点在しています。

東京ジャーミイの歴史

東京ジャーミイの歴史は戦前にまで遡ります。ロシア革命を逃 れ、日本へ避難して来たカザン州のトルコ人たちの礼拝所を求め る動きが、日本政府の協力によって結実したのが1938年(昭和 13年)に竣工する東京回教礼拝堂です。この礼拝所は、その後、半世紀以上にわたり在日のイスラーム 教徒たちの心の拠り所となってきましたが、老朽化により1986 年に取り壊され2000年に東京ジャーミイ・ディヤーナトトルコ 文化センターとして生まれ変わり、現在に至っています。
1917年( 大 正6年 )、 ロシアで社会主義革命 が起き、同国内に居住 していた多くのイスラ ーム教徒たちは迫害を 受け、生命の危機を逃 れるために海外へと避難せざるを得なくなり ました。その中のカザ ン州のトルコ人たちは 中央アジアを経由して 満州へと移動、さらに韓国や日本へと安住の地を 求めて移住して来たのです。  東京や神戸に定住したトルコ人たちは気候の温 暖な日本の生活にすぐなじむことができました。
1922年(大正11年)の関東大震災の発生直後、アメリカ政府が東京在住の外国人を救助するため横浜港に特別船を用意したにもかかわらず、トルコ 人たちはその申し出を断り日本を離れることはあ りませんでした。同年、彼らはアブドゥルハイ・ク ルバン・アリを代表にマハッレ・イスラミイエ協会を設立し、のちに来日するアブドゥルラシード・イブラヒームらと共に日本政府との友好を深めて いったのです。  
東京で新たな生活を始めたトルコ人たちの悩み は子供たちの教育にありました。1928年(昭和3年)、 彼らは日本政府から学校設立の許可を得た後、メク テビ・イスラミイエと命名した学校を開設しました。 さらに日本政府の協力により東京の渋谷区に土地 を購入し、1935年(昭和10年)、その地に学校を移転、 1938年(昭和13年)には隣接した場所に彼らの悲願であった礼拝堂(東京回教礼拝堂)を建設するこ とができたのです。
以来、同礼拝堂は長きにわたって内外のイスラ ーム教徒の礼拝場としての役割を担ってきたので すが、1986年(昭和61年)、建物の老朽化に伴い取 り壊されることとなりました。そして、その跡地は マハッレ・イスラミイエ協会に代わり創設された 東京トルコ人協会によって、「ジャーミイ再建」を 条件に、トルコ共和国に寄付されることになった のです。
1997年(平成9年)、トルコ共和国宗務庁のもと に「東京ジャーミイ建設基金」が設立され、トルコ全土から寄付金が集められました。新しい礼拝 所の設計は、現代トルコ宗教建築の代表的建築家 ムハッレム・ヒリミ・シェナルプで、建設にあた ってはトルコ本国から約100人もの技術者や工芸職 人が来日し、建物本体や内装工事に従事しました。1998年(平成10年)6月30日に開始された東京ジャ ーミイの建設事業は、日本とトルコの関係者の尽 力により2年あまりで完成、2000年(平成12年)6月 30日に盛大な開館式典が執り行われ、東京ジャー ミイは礼拝所として、また人々が集う文明の対話 の場として、新たな歴史の一頁を開いたのです。

トルコ文化センター

2000年の開館以来、東京ジャーミイ・デイヤーナト トルコ文化センターには、イスラームの文化や芸術 を知ろうと、日本人のみならず多くの国の方々にご 来訪いただきました。来訪者の方々の期待に沿える よう、ディヤーナトトルコ文化センターが建設され、 新たな施設も設けられました。
東京ジャーミイとディヤーナトトルコ文化センタ ーをつなぐ1階の渡り廊下に面して、ハラールマーケットがあります。日本ではハラール食品を入手することが困難なため、多くの方々にご利用いただい ています。またトルコやマレーシア、インドネシア など、多彩な食文化に触れることのできる場所となっています。
マーケットの向かい側に は広々としたキッチンがあ り、毎週金曜日の集団礼拝 後の軽食や、ラマダーン月 の断食明けの夕食などがこ のキッチンで調理されてい ます。その他にも、各種のイベントにあわせて各国 の料理やお菓子作りに使用されています。
地下1階には、ターコイズブルーを基調としたデ ザインの講堂(130名収容)があります。最新の設備をもつこの講堂では、通年の授業や講義、セミナ ーなどが行われています。
2階・3階には教室、事務所、応接間などが設置されています。3階に位置する応接間はオスマン様式 のデザインで統一されており、ディーワーンと呼ば れる肘掛けのない長椅子が並べられています。この 応接間では、会議や少人数での授業などが行われて います。
この他にも、3階には当施設の前身である東京回 教学校ならびに礼拝堂の建設に携わった人物の名で 呼ばれる事務室があります。「アブドュルレシト・ イブラヒム」はタタール関連の図書資料室として使 用されています。「エンヴェル・アパナイ」キッズ クラスとして子供たちが使いやすいようにデザイン されており、また「アブデュルハイ・クルバンアリ」は主に小学生が 宗教を学ぶほ か、アラビア語 書道の教室とし て使用されてい ます。また「テ ミムダル・ムヒ ト」は東京ジャーミイ出版部の事務所として使用されています。
新たに建設されたディヤーナトトルコ文化センタ ーは、各種の講座やイベントなど、様々な活動を通 して人々が出会い、互いに知り合う場です。イスラ ームという宗教は、知識の探求を推奨しています。 当センターでの宗教・文化活動により、世界じゅう の人々が繋がっていくことでしょう。

礼拝堂(モスク)

東京ジャーミイの2階に上がると、礼拝堂になっています。入口で靴を脱いで中に入りましょう。女性はスカーフで頭髪を覆います。
礼拝堂は、イスラム教徒が礼拝をするための場所。イスラム教では毎日5回、礼拝の時間が決まっています。ミフラーブと呼ばれる壁の窪みの延長線上にある聖地メッカのカアバ神殿に向かって、アッラーに礼拝を捧げます。
礼拝堂の屋根は大小のドームが支えあっていて、屋根を支える柱がなく、とても広い空間になっています。壁一面には色鮮やかで美しいステンドグラスや流麗なカリグラフィが、天井や壁には幾何学模様や植物文様が描かれ、トルコ・イスラームの世界を作り出していて、その美しさに時間を忘れて見入ってしまうほど。建築資材や調度品はトルコから運んできたものだそう。
その日の天候や時間帯など入り込む光の具合で、刻々と印象が変わっていくのも魅力の一つ。
らせん階段を登ったこちらのスペースは、女性専用の礼拝場所になっています。
ドーム型の天井の壁面には、アッラーと預言者、4人のカリフの名前のカリグラフィが刻まれています。

デーツとは?

「デーツ」は、ナツメヤシの実のことで、主に乾燥させて「ドライフルーツ」にしたものが世界中で利用されています。日本での流通量は少ないですが、レーズンと並ぶ生産量の主要なドライフルーツで、栄養と甘みが詰まったスーパーフードとして、美容と健康を意識する女性の方を中心に大変注目されています。
世界のデーツ生産量(2019-2020年見込)は、世界のドライフルーツ生産量の37%を占め、他のドライフルーツとの比較では、レーズンと同量程度、プルーンの6倍近くにもなります。世界的に見ればかなりメジャーで圧倒的に多く利用されています。日本のデーツ輸入量(2019年度)は1,533tで、世界のデーツ生産量122.6万tのわずか0.125%にとどまります。

<デーツの効果>

ナツメヤシは砂漠の過酷な条件で育ちます。生命力の強さから「生命の木」と呼ばれ、その果実であるデーツは、生きるパワーが詰まった栄養価の高い果物です。鉄分、マグネシウム、カルシウム、カリウムなどのミネラル、ビタミン類や食物繊維などが豊富にバランスよく含まれており、マグネシウムと食物繊維においては、その含有量は果実の中でもトップクラスです。

・便秘
・貧血
・アンチエイジング
・ストレス
・視力回復
・医学的効果





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